笑山寺ストーリー 人が歴史を造る
 執筆計画 乞うご期待


毛利元清 笑山寺殿笑山常快居士

毛利元清 笑山寺殿笑山常快居士

(毛利元就の4男元清の正室)


 文禄の役でトラを2頭生け捕りにして、秀吉に献上した。
狩野永徳の正当継承者と言われる狩野山楽は、秀吉のお抱え絵師として、献上された生きたトラを詳細にスケッチし、それまでとは全く違う本物のトラ図を描いた。それは、妙心寺の重要文化財の龍虎図屏風である。
 
毛利元清の正室、村上水軍の娘、妙寿寺様

(毛利元就の4男元清の正室)

 
永禄11年(1568年)、村上水軍との関係を強化する必要もあり、来島の村上通康(みちやす、村上水軍(来島水軍)の大将。来島城主)の娘を正室として迎えた。
 
毛利元清の娘、毛利家重臣にして日本最初期のキリスト教殉教者メルキオール熊谷豊前守元直の妻

(お墓は、笑山寺墓地にある)

 毛利秀元の妹(毛利宮子、宮姫)で、功福院様と呼ばれた。長府に上屋敷、下屋敷を持つ。五郎太石事件
キリシタン禁止令 秀吉の洞察(近年、宣教師が日本人を奴隷として売っていたことを、秀吉が知ったことが引き金になったと言われている)
功福院の墓を囲む、熊谷家、村上家、西家の墓
 
墓地内での戦国時代城巡り

(元城主の子孫)

 笑山寺墓地に眠る家の御先祖は、城主だった家が結構存在する。その墓を廻ることによって、戦後時代の中国地方の城巡りをすることができる。
 
ご本尊、等身大の如意輪観音像

律成寺・雲巖院のご本尊を受け継ぐ

 鎌倉・室町時代の長府のカギを握る、奈良西大寺の主要直末寺である律成寺の本尊様であった。国分寺を再興した寂遍(思寂上人、1329-1331年間に死去)により、”お釈迦様復興運動”の形として、”律が成る”寺として建てられ、その象徴として、6臂の如意輪観音像が建てられた。作者は、快慶という。
 
瀧川辨三、桂弥一、渋沢栄一、乃木希典

長府の再興

瀧川辨三、桂弥一、渋沢栄一、乃木希典 
 
豪華すぎる!100回忌法事のお斎

妙寿寺様 100回忌法事

妙寿寺様 100回忌法事のお斎の献立―――豪華すぎる!
 
萩焼開始の地 長府
 松風山窯 萩焼開始の地 長府
 
笑山寺の歴史

(笑山寺の歴史

笑山寺(しょうざんじ)は、山口県下関市に所在する曹洞宗の寺院。毛利家の菩提寺。長府藩主2代毛利光広、7代毛利師就が祀られている。元和年間に廃寺潮音寺を移す形で毛利秀元が開基し、1652年に秀元の父穂井田元清の霊位を移し、その法名にちなんで笑山寺と改められる。1914年には瀧川辨三により荒廃していた笑山寺が修復される。寺内に存在する十三重石塔は1975年より下関市指定文化財となっている。